ラリードライバー 新井 敏弘選手 スペシャルインタビュー
15.05.2020
新井敏弘選手とスバルの関係はキースリチャーズとギターの関係に似ている。
切っても切れない関係だ。
新井選手は90年代からスバルのラリーカーに乗り、同社のラリー活動の長い歴史のどの場面でも重要な役割を果たしてきた。
そんな新井選手にいろいろと聞いてみよう!!
新井さん、スバルとの関係が始まった時の事を教えて下さい。
最初にラリーで関係が始まったのは、スバル車と三菱車をテストした時。当時スバル車はより複雑で挑戦的だった。多分、三菱車ほど速くは無かったけどいい感触だったんだ。三菱の直列4気筒エンジンと比べるとスバルの水平対向レイアウトは複雑で慣れるのに少し時間がかかったけど、スバルに成功しようという野心を感じたんだ。
スバル独自の水平対向エンジンに触れていましたが、このレイアウトが特別な理由は何でしょう?
スバルの伝統的な特徴ですね。第二次世界大戦下でスバルがゼロ戦という有名な戦闘機の製造や開発に携わっていたのをご存知ですか?この戦闘機は既に水平対向エンジン技術のベースとなるエンジンを搭載していました。スバルはその長い経験から水平対向エンジンに対する知識が非常に豊富なんです。
長い間、スバルのファクトリーチームで、スバル“555”グループAや初代インプレッサWRCなどの非常に有名でホットなマシンを操られてきましたが、新井選手にとって特に特別で忘れられないマシンは何でしょう?
質問に出てきた98スペックのインプレッサWRCは素晴らしいマシンだったよ。2ドアクーペをとてもグラマラスなシェイプにして、伝説の22Bの元にもなった。スバルがつくったマシンの中で最高な一台の一つだと思います。
ファクトリーチームのドライバーからご自身のチームオーナー兼ドライバーとなった事による大きな違いはなんでしょうか?
あぁ、それはもう大変ですよ。全然違います。ドライバーだけやっていた時は今と比べたら気が楽でしたよ。もしクラッシュしても、僕が原因でなければ“不運”となった。でも今はチームの動きから全てのボルトまで僕の責任。全てが僕の責任になるんです。もしクラッシュすれば、自分のお財布から経費が出ていく。もしオイルメーカーの選択を誤って取引してエンジンが壊れたら…、それも僕のミスになる(笑)。
オイルに関しては長い間Motulをパートナーとしていただいていますが、この関係の始まりと重要度を教えてください。
Motulのオイルを初めて使用したのは、98年か99年にスバルインプレッサGC8を走らせていた時の事です。とても素晴らしい車でしたが、大幅にパワーを向上させたが故にエンジンとトランスミッションに多くのトラブルを引き起こしました。その後、Motulのオイルを使用したところ、残りのシーズンにおいては、車を確実に走らせる事ができました。それ以降、この様なトラブルに見舞われる事はありませんでした。
多くの名ドライバーとチームメイトだった新井選手ですが、コリン・マクレー選手、リチャード・バーンズ選手、ペター・ソルベルグ選手などと多くのエピソードがあるんじゃないでしょうか?
(笑)たくさんありますよ。コリン・マクレー選手は素晴らしいドライバーで人格も素晴らしかった。寛大でゆったりした感じなんだけど、マシンに乗り込んだら集中してドライブしてた。
リチャード・バーンズ選手は真逆で繊細で一緒に仕事するのが容易では無い感じ。決して悪い意味ではなくて、ラリーの期間中はとても緻密で神経質だったよ。
ファクトリーチームの仕事での後半はペター・ソルベルグ選手とトミ・マキネン選手と一緒だったんだけど楽しかった。彼らはとても気が合う様に見えたよ。トミはマシンのセッティングのスペシャリストでもあるので、その助けもあってペターがワールドチャンピオンになれたんだ。